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【書評】すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論《後編》

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3月中旬に発売された堀江貴文著『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』を読了し、感じたことを綴りましたが、今回はその続編で、本書の後半部分で感じたことを綴ります。


「没頭する力」が大切で、それがあれば、学び・遊び・仕事を三位一体として、好きなことを仕事にできると、本書の前半で書いていました。後半では、好きなことに没頭して仕事にするために必要なことについて書かれています。それは、

3つのタグで自分のレア度を高める

というもの。レアな人材になるには、何かの分野で100万分の1になれば、十分レアですが、100万分の1の人材は、オリンピックの金メダリストに相当するぐらい難しいことだそうです。そこで、100分の1を3つ掛け合わせることで、100分の1×100分の1×100分の1=100万分の1になれるといいます。この考え方は藤原さんが唱えているものだそうで、彼は100分の1になるためには、1万時間の法則に基づいて、「1つのスキルを修得するには1万時間かかる。それを3回繰り返せばいい」と主張されています。

しかし、堀江さんは「今の自分に与えられているモノ」で、簡単に100分の1になることもあるといいます。例えば、厚切りジェイソンさんは、「在日外国人」「IT企業の役員」「お笑い芸人」という3つのタグを持っていて、それぞれのタグの希少性高いため、人気を集めたと堀江さんは分析しています。他には、女子高生起業家として人気を集めた椎木里香さんも、「女子高生」「起業」「社長二世」という希少なタグを引っ提げてメディア界に表れた一人だという。

1万時間の法則で希少なタグを取得することも大事だけど、厚切りジェイソンさんや椎木里香さんのように、「今与えられているモノ」で希少なタグをつけることを勧めるのは、「何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか」を大切にするアドラー心理学に近い考え方を持つ堀江さんならではの考えだと感じました。また本書でも触れられていましたが、これからの時代は、いい大学・いい会社に行けば人生が安泰ということはなく、AIや機会に取って代わられないレアな人材が生き残っていきます。

AIや機械に仕事が奪われる、これからの時代を生き残るために必要なことが知りたい人も、本書を読めば、その答えを導く手助けとなってくれるはずです。

気になる方がいれば、以下よりどうぞ。



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堀江貴文著「むだ死にしない技術」
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【書評】すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論《前編》

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3月中旬に発売された堀江貴文著『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』を買って、読了しました。堀江さんにとっては初めて教育について1冊書いた本で、これまでの堀江さんの著書と一線を画しているように思いました。



この本では、まず

学校は工場の労働者を生産する洗脳機関

だと表現しています。学校が始まったのは、産業革命以降で、それまでは子供も農家や手工業などの労働力でした。産業革命以降、「大量生産を目的とした工場で労働して報酬をもらう」といった仕事が生まれると、より質の高い労働者を求めるようになります。その結果、未来の労働力である子どもたちの保護も兼ねて、「学校」というものができたのです。

そのため、「大量生産を目的とした工場で労働して報酬をもらう」という仕事が少なくなっている現在では、学校というものがいらないのだと、堀江さんは言います。学校がなくても、好きなことに没頭することが、学びにもなるし、遊びにもなるし、仕事にもなる。「学び・遊び・仕事」は三位一体で、これを支えるのが「没頭する力」だという。

さらに現在も学校が存在している意義については、国家という幻想を維持するためだと持論を展開しています。学校では、学問の他に、「常識」も埋め込まれ、その常識のほとんどが、軍隊を統制するのに必要なことだったといいます。現在も文部科学省が教育方針を決めるており、学校は国家の洗脳機関で、国家という幻想を維持するための常識を植え付けるために存在しているのだとか...。また、こういう国家幻想から解放されると、より広い世界を求めるG人材(グローバル人材)と、より狭い世界を求めるL人材(ローカル人材)に分かれるそうです。どちらの生き方が幸せとかいうわけではなく、自分が幸せだと思う方を早く見つけることが、これからの時代、必要になってくるのだそう。

本のタイトルからすると、「学校否定」と思うかもしれませんが、実際に中身を読んでみると、そうでもないことが分かります。学校というものが元々工場の労働者や軍隊を育成するためにできた機関で、今は「没頭する力」さえあれば、「学び・遊び・仕事」の三位一体を実現することが可能だといいます。

今に不満があって、変わりたくても変われない人にとって、いい処方箋になると思います。


後編はコチラ

【書評】すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論《後編》


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前回に引き続き、為末大さんの「諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない~ 」を読んで、今回は本書で取り上げていた「自分なりの評価方法」持つことについて考えてみました。本書では、「自分なりの評価方法」のことを、自分で決めたランキングと表現しています。




為末さんは、勝つために「手段を諦める」ことが時に必要になると言っていますが、「勝つ」ことに関して、こう述べています。


(ランキングは)自分でない誰かが「こうしたら勝ちだと認めよう」と言っているに過ぎない。(中略)自分にとって一番大切なランキングは何かを決めるのだ。


そして


(自分のランキングは)毎日意識的に自分にとって大事なものを選択し続けることで、徐々に出来上がってくるものだ


とも、言っています。つまり、毎日あらゆる選択の場面で天秤にかけて、自分がしたいことや欲しいもの(=自分にとって大事なもの)を選んでいくことで、自分の評価基準が定まっていくのだそうです。

本来は、


人は、社会的な評価に影響を受けるものだ。


そうで、


一方、自分なりの軸を強く持った人は、仮に社会的な評価が高かったとしても、自分の感覚を信じる。


という。また社会的な評価は移ろいやすいので、社会的な評価のために努力しても、いずれは限界を迎えますが、自分の評価基準をはっきりさせれば、努力の方向性が決まり、自分の生きたい人生に日々近づけることができるのだそうです。

そして、為末さんは成功することだけが勝ちではなく、楽しく人生を過ごすことも勝ちだそうで、こう言及しています。


「今」に意識をおけば、じつは努力をしていること自体が報酬化している場合がある。「今が楽しい」という、その状態こそが報酬になっているのだ。


今を全力で生きれば、ネガティブなことを考える暇もないので、楽しくなります。日々を全力で生きるという努力をすれば、「楽しく人生を過ごす」という勝ちを手に入れることができるのです。

何を勝ちとするのかは、自分の評価基準が決めることで、その評価基準は日々の様々な選択の積み重ねです。そして、時には手段を諦めたりしながら、自分の思い描く「勝ち」に向かって、毎日を全力で生きていきたいです。



諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉



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前回に引き続き、為末大さんの「諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない~ 」を読んで、今回は本書で取り上げていた「勝つ」ことについて考えてみました。




為末さんは、陸上の100メートルから400メートルハードルに移って金メダルをとりましたが、何かで成功するには、粘り強さ以外に、戦略だと言います。その戦略とは、勝てそうな分野を選ぶことだそうです。


人間には変えられないことのほうが多い。だからこそ、変えられないままでも戦えるフィールドを探すことが重要なのだ。
僕は、これが戦略だと思っている。


「だって、僕がこの分野に行けば有利なんだよね」


日本でこう言うと、バッシングを受けて炎上しそうですが、アメリカのある大学では、逆の考え方のようです。


アメリカのある大学の経済学部では、入学して一年経過した段階で、多いときには半数に上る学生を進級させないという。(中略)ただ、学生たちの意見はおおむね好意的だそうだ。若いうちに「あなたは経済学に向いていない」と言ってもらえることで、(中略)自分の進む道を早めに修正できるからだ。


人生は限られているので、成功したいと思えば自分が勝てる分野を探して努力すべきで、楽しみたいと思えば自分が楽しいと思えることを探して没頭すればいいのだと気づかされます。また、為末さんはイギリス人の勝ちについての考え方を取り上げ、こう述べています。


「どこで勝つか」より「何が勝ちか」をはっきりさせておくことが、自分が本当に勝ちたいフィールドでの勝利につながるのだ。


よく言われる勝ち負けは人が決めたもので、他人が思う勝ちでも、本人は幸せと思っていないケースも多いそうで、自分なりの評価基準を保つことが大切だと感じました。最後に、為末さんは最高の戦略とは何かについて、こう言及しています。


最高の戦略は努力が娯楽化することである。


これはYouTuberと呼ばれるクリエイターを見ていても分かると思います。動画編集をやったことのある人は分かると思いますが、動画編集って時間はかかるし、パソコンが重たくなればストレスだし、さすがに毎日できるものではありません。そんな作業を毎日やれるのは、動画編集が娯楽化しているからだと思われます。また為末さんが、大変な作業を楽しんでできるのは、才能だと言っているように、YouTuberたちは動画を編集する才能があると言えるでしょう。

自分が本当にやりたいことを突き詰めて、努力を努力と思わない分野を見つけて、全力で毎日を過ごして、毎日を楽しんでいきたいですね。


諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉



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為末大さんの著書「諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない~」を読了しました。初めてKindleで本を買って読んでみましたが、読んでいるときはマーカーも引けるし、文字サイズも変えられるし、快適に読書を楽しめました。ただこれまで本棚に置いてあったのが、基本的にはクラウド上に保管するようになるので、Kindleアプリを開かないと本の存在を忘れそうで怖いです。
この本を一通り読みましたが、今後の人生を考えるうえで大変刺激になりました。今回から三回に分けて、本を読んだレビューを掲載します。

まず、為末さんによると、


「諦める」という言葉の語源は「明らめる」だという。


これは漢語辞典では詳しく載っている事実だそうで、さらに本書ではこう述べている。


こうした本来の意味を知ったうえで「諦める」という言葉をあらためて見つめ直すと、こんなイメージが浮かび上がってくるのではないだろうか。「自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る」


「諦める」には「逃げ」などネガティブなイメージがあったけれど、こう解釈すれば、「諦める」とは、今後の人生で「勝つ(成功する)」ために今の状況を明らかにするという「戦略」的で前向きなイメージになります。為末さんが、このことを体験した最初の経験は、高校の陸上部で100メートルを諦めて、400メートルハードルに絞ったことだそうで、本書でもこう書かれている。


「100メートルでメダルを取るよりも、400メートルハードルのほうがずっと楽に取れるのではないか」
「100メートルを諦めたのではなく、100メートルは僕に合わなかったんだ」


100メートルの方が競技人口も多いため華があるらしく、はじめは躊躇いも会ったそうです。為末さんは、陸上の先生から身体の心配をされて、エントリーを取り消されたことが「手段を諦めた」最初の経験だったという。そして為末さんは、100メートルで上位を狙っていたのは、結局はここに行き着くのではないかと考えています。


つまりは、自分の腹の奥底にある本心を言語化することができたのである。
「勝つことを諦めたくない」


金メダルは金メダル。100メートルを諦めて400メートルに転身したことで、勝利を得たのだと為末さんは言います。身の回りのことでも、本当にしたいことは何で、そのためには今やってることを磨くのがいいのか、転身した方がいいのか、それを見極めることが勝つ、成功する上で大事なことだと思いました。


諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉



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